みねよです。

今日は、小4息子の授業参観に行ってきました。

本日の授業は「道徳」でした。テーマは『命』でした。

「命、って、何だと思いますか?」

先生の問いに、生徒たちがたくさん答えました。

「大切なもの」「守るもの」「心臓」「魂」。

その後、先生は、道徳の教科書に載っている詩を朗読し始めました。

宮越 由貴奈さん(当時小4・11歳)、病院の中にある学校に通うお子さんの詩でした。

命はとても大切だ

人間が生きるための電池みたいだ

でも電池はいつか切れる

命もいつかはなくなる

電池はすぐにとりかえられるけど

命はそう簡単にはとりかえられない

何年も何年も

月日がたってやっと

神様から与えられるものだ

命がないと人間は生きられない

でも

「命なんかいらない。」
と言って
命をむだにする人もいる

まだたくさんの命がつかえるのに

そんな人を見ると悲しくなる

命は休むことなく働いているのに

だから 私は命が疲れたと言うまで

せいいっぱい生きよう

宮越由貴奈さんは 5 歳のときに神経芽細胞腫を発症し、 

5 年半の闘病生活の末、この詩を書いた4ヶ月後、11 歳で亡くなったそうです。

朗読が終わって、先生は「心に残ったところは?」と質問したところ、

生徒たちは「命を大切にしている」「命をむだにしない」「精一杯生きる」と答えました。

生徒たちは、詩の内容を理解していて感動しました。

由貴奈さんのお友達の詩も紹介されました。

内容は「誰かが泣いていると、由貴奈さんは自分のことを忘れて慰めてくれる。

でも時々、夜暗いところで、泣いている声が聞こえてくる」というものでした。

その時の由貴奈さんの気持ちを想像すると、言葉も出ません。

由貴奈さんが亡くなった後の、お母様のお手紙も先生は紹介して下さり、とても胸に迫りました。

授業終盤、先生からの言葉がとても印象に残りました。

「君たちは、とっても大切な存在です。

命は、君たちだけのものじゃありません。

君たちにはこれから、苦しいことや辛いことが、あるかもしれない。

でも、君たちを支えてくれる家族がいる、友達がいる、先生もいる。

先生は、逃げたっていいと思ってます。

誰かを頼ってください。

自分で命をたつことは、絶対にしないでください」

先生は、最後に質問をしました。

「あなたたちは、どう精一杯生きようと思いましたか?」と。

答えようとしながら、顔を手で覆って泣いている生徒さんがいて、、。

私はそれを見た瞬間、こらえていた涙が一気にあふれました。

その生徒さんの代わりに、先生がノートを見て代読しました。

「家族がいるから、精一杯生きたいと思った」と。

この道徳の授業から、生徒ひとりひとりに、きっと何かしらの気づきがあって。

そして、授業を聞いていた親たちひとりひとりにも、

きっと何かしらの込み上げる想いがあったはず、と思いました。

「あなたはとっても大切な存在です」

って、真正面から言ってもらえることって、なかなかないかもしれない。

でも、そう言われることで、命を大切にしようと思うきっかけになるかもしれない。

誰かの生きる希望になるならば。勇気になるならば。

私は、恥ずかしがらず、「あなたはとっても大切な存在です」と伝えていきたい。そう思いました。

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